2005年12月22日

ある長老から聞いた話パート1

本日は、ある沼垂の長老から聞いた話です。

私の記憶が確かなら、先月に閉鎖した、”ダイエー新潟店”が出来たのが昭和48年冬(たしか、風邪が流行して学級閉鎖になっていました。)
確かこの頃に、栗の木バイパスの工事も行っていたような気がします。

この黒船襲来が、沼垂の商店街に大きな打撃を与えました。・・・
そして、ボディーブローのように、沼垂商店街に圧力をかけたため、小さな商店である肉屋、魚屋、八百屋さんが廃業に追い込まれました。
ここまでは、よくある話しです。

実は、これよりも前に、まだ沼垂の商店街に活気が残っていて、そんなに衰退の兆しが見えない時代に、
”このままでは沼垂の商店街はダメになる。”

”沼垂四つ角から新潟西港にかけて、商店街を拡大しなければ生き残れない!”
と説いた先達がいたそうです。

昭和版、沼垂ショッピングタウン開発計画素案があったなんて・・・・驚きです。

でも、実現することはありませんでした

実現してれば、沼垂は誇りの持てるまちだったかもしれません。
人が絶え間なく行き交うまちだったかもしれません。

そう横浜市の山下町みたいな(ちょっと大げさですが・・)

ウオーターフロントによいイメージを持つ人は多いと思います。

港、栗の木川 まさにウオーターフロントのまちでした。昔の沼垂

社会資本整備が、ひとつのまちを衰退に導く典型でしょうか?

道路が出来ても、まちに魅力がなければ人は集まりません。

まちに魅力があっても、人に伝えなければ分かりません。

伝える努力をしなければ、人には伝わりません。

新幹線や、高速道路があれば、都会から人が来ると単純に考えている人は少ないと思いますが、伝える努力を正しく行っている人は少ないような気がします。

これからの沼垂は、どちらでしょうか?






posted by 沼垂の住人 at 03:28| 新潟 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 街づくり関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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